始まりの日は雨だった -ジャニーズの新星・SixTONESとデビュー曲“Imitation Rain”に寄せて-

こちらの文章もまた、2020年1月28日にrockin'on音楽文に掲載していただいたものです。原文ママで供養。

 

 

始まりの日は雨だった
ジャニーズの新星・SixTONESとデビュー曲“Imitation Rain”に寄せて

 

雷鳴が轟き、雨音が聞こえる。私の頬につたうこの雫は雨か、涙か。息をすることすら忘れ、そこに立ちつくしていた。

会場の真ん中・センターステージで魂を燃やし続ける6人の革新者たちが、雨音のなか、観客に背を向けてメインステージへ歩いていく。横一列に並んだ6人の姿を見て、今から披露される彼らのデビュー曲が、これまで彼らが進んできた足跡・集大成であり、同時にこれからに向けた覚悟と決意表明であることを悟った。『僕たちは、世界を目指します』という彼らの言葉がフラッシュバックした。静寂に溶け込むようなピアノのメロディから、この曲――"Imitation Rain"は始まる。

彼らの名は、SixTONES
  
SixTONES(ストーンズ)は、ジャニーズ事務所に所属する6人組アイドルグループだ。他を圧倒するほどの存在感と挑発的なパフォーマンスでジャニーズJr.の先陣を切ってきた。そんな彼らが、2020年1月22日、ついにCDデビューする。
ジャニーズの若手アイドルなんてこのサイトで読む話題ではない、と思うかもしれない。それでも私が投稿したのは、ジャニーズソングの新境地を、彼らが切り拓こうとしていると強く感じるからだ。そして何より、この楽曲をジャニーズファンの中に留めておくだけでは勿体無さ過ぎるのだ。
 
ジャニーズのデビュー曲というと、嵐の“A・RA・SHI”やSexy Zoneの“Sexy Zone”のように名刺の役割を果たすもの、KAT-TUNの“Real Face”やKing & Princeの“シンデレラガール”のようにグループの方向性を世間に示すものなど様々だが、どれもキャッチーでフレッシュ、かつ爆発的だ。

SixTONESのデビュー曲“Imitation Rain”は、どこにも属さない。音楽的に紹介するならば「エモーショナルなミディアムロックバラード」で、わかりやすく言い換えるなら「ジャニーズのデビュー曲っぽくない」だ。
この「っぽくなさ」が、この曲の要であると思う。繊細なメロディラインと複雑なハーモニー。触ったら崩れてしまいそうな楽曲のバランス。彼らしか足を踏み入れることができない、いわば聖域。
X JAPANYOSHIKIがプロデュースを手掛けたこの曲は、ジャニーズのアイドルグループが世間に放つ初手の一曲としては異例と呼べるだろう。しかし、そうであるからこそ、前例のないことを成し遂げようとぐらぐらと信念を燃やしている。そんなSixTONESの力強さがこの曲から感じられる。
  
《Fake dreams 壊れてゆく ガラスの薔薇のように》
《戻れない 時代(とき)を振り返る/流れる時間を止めて》

SixTONESが結成されてから、5年が経とうとしている。メンバー全員がジャニーズJr.として10年以上の下積み期間を経験しており、華々しいデビューが決定するまでの道のりは決して平坦ではなかった。
デビューに最も近い位置にいると言われながら、ジャニーズJr.として活動を続けていたSixTONES。「デビュー」の4文字と淡い期待が浮かんでは消え、花びらのように散っていく。メンバー全員が、このグループがラストチャンスだと思ってSixTONESに賭けていたという。
 
《Imitation Rain/時には激しく 心に降り注ぐ/Shall we play this game/紅に染まるまで 雨に打たれて》

「紅」というYOSHIKIX JAPANを彷彿とさせるワードが使われているのにはただただ驚くばかりだった。YOSHIKIにとってX JAPANの名曲である「紅」とはこの上なく特別なワードだろう。YOSHIKIは、“Imitation Rain”のプロデュースに際したコメントで『SixTONESが海外でのJ-POPのイメージを一新させる可能性を秘めたグループだと確信した』と述べた。歌詞に散りばめられた言葉たちから、SixTONESへの期待を感じずにはいられない。
 
《Should I play this endless game》

SixTONESは、音楽とパフォーマンスで既存のアイドルの型を打ち破り、新しいジャニーズアイドル像を体現しようとしているように思う。
前代未聞の挑戦には、逆風がつきものだ。「ジャニーズっぽくない」点がこの曲の要だと述べたが、そこには「っぽくない」という「SixTONESらしさ」が紛れもなく存在している。新境地へ向けた終わりなき挑戦。これを続けるべきなのか?続けて何の意味があるのか?と問うラップ詞のアンサーが、以下である。
 
《Shall we play this game/紅に染まるまで 雨に打たれて》

6人がステージの真ん中で、強く前を見据えて歌う。その後ろで次々と上がる炎がMVを思わせる。Iで投げかけた問いにweで応えるこのアンサーには痺れた。これからの旅路、1人も置いていくつもりはないのだろう。《Shall we〜》のフレーズは、曲中に複数回出てくるが、ここでは前述したラップ詞へのアンサーだと考えると、また一味違って聞こえてくる。
炎をバックに、最後の一音まで神経を張り詰めたパフォーマンスで魅せたSixTONES。とんでもないものを観た。そう思った。
  
SixTONESには、既存の世界を変えてほしいと思っていた。彼らをヒーローか何かになぞらえた、あまりにも漠然とした希望だった。でも、デビュー曲としての“Imitation Rain”を聴いてから、それは願いではなくて現実になるのではないかと思うのをやめられないのだ。

“Imitation Rain”は、きっとSixTONESがこれから私たちに魅せる革命への序曲だ。土砂降りの雨のなか、翼を広げた新たなジャニーズアイドルが今、飛び立つ。

未来へ急げ -2018.3.26 SixTONES 横浜アリーナ単独公演-

この文章は、2018年4月6日にrockin'on音楽文に掲載していただいたものです。

当該記事は、音楽文サービス終了にともない消えてしまったので、こちらに供養しておきます。書いた当時は高校生だったので今読み返すと稚拙な部分ばかりですがせっかくなので原文ママで。SixTONES、デビュー8周年おめでとう。

 

未来へ急げ
2018.3.26 SixTONES 横浜アリーナ単独公演

明日のことは分からないけれど、彼らの未来が見たい。
忘れられないあの日に想いを馳せながら、ぼんやりとそんなことを思う。
 
3月26日、私は新横浜にいた。
鈍行と特急、それから新幹線を乗り継いで地元からここまで来たのは、ジャニーズ事務所に所属する6人組グループ“SixTONES”の横浜アリーナ単独公演を見届けるためだった。
CDデビューをしておらず、ジャニーズ事務所の公式サイトにおいて単独のページを持たない。彼らのためだけのファンクラブも存在しない。そんなジャニーズJr.として活動するSixTONESが、横浜アリーナのステージに彼ら6人だけで立つというのだ。
 
彼らの強みは、空間を隅から隅まで彼らのカラーで染めてしまえるところだと思う。SixTONESのオリジナル曲では、ワイルドなオーラで場を圧倒してファンを興奮の渦に巻き込み、絶対的な存在感を見せつける。ジャニーズの先輩たちの曲のカバーでは、決して二番煎じとは言わせないオリジナリティで聴衆を驚かせ、それでいて本家のカッコ良さを想起させる演出も忘れない。まさに「良いとこ取り」なパフォーマンスは、まるで余分なものを極限まで削り落とし、磨き抜いたダイヤモンドのよう。

そんな彼らの輝きは、横浜アリーナで1万5000人を前にしても惜しげもなく発揮された。
単独公演の幕が開き、メンバーを閉じ込めた檻を思わせるセットが置かれたステージでは次々と火柱が上がる。視覚にも聴覚にも衝撃をぶつけられ「とんでもないことが始まる」と一瞬で感じた。SixTONESが、横浜アリーナを彼らだけのモノにするのだ――待ちに待った記念すべき1曲目は、この日が初披露となるオリジナル曲“Jungle”だった。不敵な笑みをたたえ、檻の中からステージに彼らが放たれていくさまは、ジャニーズJr.という括りから解き放たれ、もっと広い世界へSixTONESが飛び出していく未来の序章のように思えて、鼓動が自然と早くなった。

その後も馴染みのオリジナル曲でぐんと引き上げた会場の熱気が辿り着いたのは意外にも、SMAPの名曲“らいおんハート”だ。それまでの獲物を狩りに行くような「攻め」のモードをガラリと優しさに変え、バラードで観客を聴かせにかかる。
しっとりと会場を包み込んだかと思えば、最初に披露した“Jungle”がもう一度始まり、再びワイルドな魅力を爆発させる。複数の曲をひとつの曲で挟むこのやり口には、ただただ痺れた。ファンの驚きと歓声に確信犯であるかのようにニヤリと微笑み、踊り歌うメンバーの姿はひたすら圧巻だった。
SixTONESは、ひとつのショーを完成させるうえで楽曲の使い方と雰囲気の切り替え方が上手い。大胆とさえ思えるセットリストと演出でファンの想定を良い意味で裏切りながら進んでいくパフォーマンスはあまりに痛快で、1秒たりとも目が離せなくなる。エンターテインメントと呼ぶに相応しいそれは、見る者をみな虜にしてしまうのだ。
 
彼らのグループ名“SixTONES”は、6人が6通りの音を奏で、さまざまな個性を持つ原石であることを表している。それが色濃く現れたのは、各所に散りばめられたそれぞれのソロコーナーだった。
次々と出てくるメンバーとステージを歩きながら楽しげに歌い、ポップな輝きを放つ髙地。彼が作詞したというソロ曲を美しいビブラートで力強く歌い上げた京本。演技のようなダンスで憂いを帯びた自身の世界を創り上げた松村。歌詞や動きに連動したスクリーンの映像を用いたダンスで繊細に魅せた森本。美声を響かせ、彼がアイドルであるとともにひとりの歌手であることを私たちに思い知らせたジェシー。オリジナルのグルーヴィーなラップで会場を飲み込んでゆく田中。

バラバラな6つのカラー。1つずつ堪能するだけでも満足してしまいそうになるが、彼らはそんなところで決して終わらない。この日1番の衝撃が私たちに食いかかったのは、ソロコーナーの最後を飾った田中のラップが終わったあとだった。始まったのは、彼らが歌ってきたオリジナル曲のリミックス。これまで彼らが歩んできた軌跡を目まぐるしく変わる歌詞と音が示していて、こんなことをやってのけるグループが他にいるのだろうかとさえ感じさせる迫力に身震いするばかりだった。同時に、これからのSixTONESをこの目で見届けたいとも強く感じた。

私にとって、ジャニーズJr.を応援するというのは少しリスキーなことだった。Jr.内のグループの解散やメンバーの脱退は公式に発表されてこなかったし、誰かの退所だってそうだった。いつ消えてしまうか分からない不安定な存在であるから、応援することに僅かな躊躇いが生まれていた。CDデビューするグループがいる中、キャリアを積んでもその時期を未だ掴めないJr.もいる。でもSixTONESは、そんな私の不安や焦燥でさえも信頼と歓喜に変えて、これからの景色が見たい、未来が見たい、と思わせてくれた。ある雑誌では「Jr.っていう肩書きのままデビュー組を越せたら面白い」と語ったり、YouTubeの公式チャンネルではグループ最大の目標に「社会現象」「世界的ヒット」を堂々と掲げられる彼らが頼もしくて仕方がないのだ。
 
<つまづいても心配ないからさ/ほら、その目を開けてよ>
<1つの奇跡は 2つに増えてく>

本編最後に歌われた彼らのラブソング“Beautiful Life”にこんな歌詞がある。6人の奇跡が1万5000人と6人の奇跡になったあの日。もっとすごい景色を彼らが見せてくれると確信できたから、SixTONESを信じているから、どこまでも彼らについていきたい。計り知れない輝きと無限大に広がるカラーは、きっと世界をも染めてゆける。
SixTONESの未来へ、急げ。

 

 

2020-6-18

松村北斗くん、25歳のお誕生日おめでとう。

 

こどもがおとなになっていく美しくも儚い過程を魅せてくれるからアイドルが好きだ。そこには年齢を重ねることに対する少しの切なさと、大きな期待。10代だった北斗くんもいつのまにか25歳、言わばアラサーである。そしてそれと共に、12歳だった私はもう20歳を見据えている。

 

24歳の北斗くんからは、どこか達観した諦念すら感じた。決して何かを諦めるわけではなくて、道理をさとって迷いがなくなるという意味だ。

CDデビューが決まって、SixTONESとして進む道が固まった。グループの中でも下ハモという音楽的な居場所を確立させた。言葉やパフォーマンスで私たちに伝えてくれることも増えた。

さらに24歳の北斗くんは、松村北斗という人間が、私たちファンや世間にどのように見えているのかいち早く察知することが容易にできるようになった気がする。核はそのままに、自分がどう魅せるのか、何を大切にするべきなのかの取捨選択が本当に上手い。よくできたアイドルである。

いろいろなことがあって、目まぐるしく変わっていく周りの状況の中で自分を、自分たちを守り抜いてくれた1年間だったんじゃないだろうか。

 

24歳の北斗くんが歌う「キミハカルマ」をこの目で観ることができたのは、この1年間で本当に大きな出来事だった。

17歳〜18歳のころのパフォーマンスから溢れ出ていた青い危うさを持つ少年の儚さとは違う、精巧につくりあげられた美しさを纏った女性的な儚さがあった。年齢を重ねて、北斗くんが放つ魅力は確実にあのころと変わっている、と思ったのを鮮明に覚えている。

 

デビュー曲「Imitation Rain」をこの年齢で歌いリリースしたのも、個人的にはベストタイミングだったんじゃないかと思う。北斗くんはこれを“大人になってしまったことに意味がある曲”だと評したけれど、全くその通りだと頷いた。これから年齢を重ねていくたびにきっと深みが増していく。24歳、彼はがむしゃらに歌っていた。25歳の彼が歌ったらどうなるのだろうか。早く目に焼き付けたいと切に思う。

 

北斗くんが「25歳」をいい大人 だと捉えていることは言動の端々から読み取れた。今年に入ってから、「僕ももう25(歳)ですよ」という旨の発言が多く見受けられ、(彼のことだから著しく何かが変わることはないのだろうけど)彼なりにゆるやかな節目を感じているのかもしれない。

 

北斗くんが、25歳。アラサー。口に出すたび、うそだろ と思う。それでも歳を重ねることを楽しんでいる彼だから、毎年北斗くんの誕生日が楽しみなのも事実。これから1年間、どんなふうに魅せてくれるのだろうかとワクワクする。

いつだって今が1番かっこいい。24歳の北斗くん、たくさん幸せをくれてありがとう。今日からは、25歳の北斗くんが大好きです。

 

北斗くん、改めてお誕生日おめでとう!

すこやかで、そして何よりしあわせでいてね。

 

Imitation Rainという壮大なきっかけの話

SixTONES、BillboardJapan ウィークリー1位おめでとう!

 

Imitation Rainという楽曲とSixTONESについては、音楽文でいっぱい書いたので(このブログを見てくれた人、こちらもぜひ見てほしい というかこちらを見てくれ こちらが本気)ここではImitation Rainと北斗くんについて書きたいなと。あくまでラフにね。

 

 

北斗くんは、SixTONESとしてのパフォーマンスにおいて、いまいち突き抜けることができないのかなと思っていた。というより、本人が葛藤を抱えているのかなと思っていた。

「何やったって他の5人に負けるから」という一言*1が、それを表していた気がする。


ジェシーには多彩でハートフルな歌声、京本さんには高音、そしてミュージカルで鍛えられた圧倒的な歌唱力がある。樹くんはラップ、髙地はボイパ。慎太郎くんはダイナミックなダンスとアクロバット。それぞれがわかりやすく高いスキルを持ったメンバーだ。


これは一オタクの勝手な想像だけれど、そんなメンバーの中で、自分の立ち位置を確立できないという焦り、劣等感がずっと付きまとっていたんじゃないかと思う。

北斗担としては、北斗くんの曲中での魅せ方、ゆびさきの動きから表情の機微、仕草まですべてがどの“表現者”のものよりも素晴らしく見えるのだけど…そこはまぁ置いといて。

表現や魅せ方に関しては、歌唱力やダンススキルのように分かりやすく評価されるものではないかもしれない。上手い!すごい!と誰もが手放しで褒めるような評価を得られない。北斗くんは宙ぶらりんなのかな、と思っていた。

SixTONESにおける「歌」のポジションは、もう埋まっているように見えた。

 

 

だから驚いた。

2019年11月27日、日テレ ベストアーティストにて初披露された『Imitation Rain』。ジェシーと京本さんが歌のメインを務めることは容易に予想できたし、YOSHIKI楽曲と京本さんの歌声の親和性はとんでもないだろうなと想像していた。

思っていた通り、京本さんのソロパート《戻れない 時代(とき)を振り返る〜》が始まる。予想外だったのはそのあとだ。

北斗くんがマイクを構えた。

本当に驚いた。テレビの前で「えっ?!」と声が出たのを覚えている。今までなら京本さんとハモるのは多くの場合ジェシーだった。2人のハーモニーの美しさはSixTONESを紹介する代名詞だろう。そこに北斗くんが加わろうとしている。

マイクを構え、次のフレーズを歌い始めるまでの一瞬、思考が止まった。

3人が歌い始める。複雑なハーモニーで。

北斗くんが、歌で勝負している。北斗くんの声が、大切な1フレーズのハーモニーを構成している。下ハモだ、と理解できたものの、他のことは、もうよくわからなくなっていた。

 

のちに、そのフレーズだけではなく『Imitation Rain』を通しての北斗くんの主たる役割は下ハモであることを知る。ようやくしっくりくる居場所が見つかったのかな、と思った。SixTONESで歌といえばジェシーと京本さん、だったところに北斗くんが加わって3人で歌う場面があることが何より嬉しかった。

 

そして2020年を迎え、開幕したSixTONESのデビューツアー、TrackONE-IMPACT-。ここでライブ初披露となった『Imitation Rain』、そしてカップリングの『Telephone』と『NEW WORLD』。どれも北斗くんが歌で魅せてきていた。下ハモはもちろん、ソロパートも以前より自信ありげに歌っているような気がした。

 

その後、YouTubeにて公開されたImitation Rainのレコーディング映像で、北斗くんがSixTONESで歌におけるポジションが見つけられず困っていたと吐露している。やっぱりそうだったのかと思うと同時に、それが過去形であることにひどく安心した。『Imitation Rain』をレコーディングするにあたって、下ハモを磨き上げるべく職人のように練習したことが伝わる。北斗くんが持っていた歌の可能性が、この一曲をきっかけにひらいていると思う。歌のポジションは、まだまだひろがっていく。曲ごとに変化する歌のかたち。北斗くんが歌で下ハモという居場所を見つけ、堂々と歌う姿を見ているとぞくぞくする。

 

北斗くんは、歌という武器も手に入れてしまったのだ…と。

 

 

 

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*1:フジテレビ『RIDE ON TIME』2019.12.20放送分より

未来に連れていって

デビュー発表の瞬間に立ち会うのが私の夢だった。


2019年8月8日 東京ドーム。
ここから始まると銘打たれた日。きっと誰もが、何かがあると構えていた。

SixTONESはジャニーズJr.チャンネルを卒業して、アーティストチャンネルを開設することになりましたと聞いて、あぁ、それってつまり、そういうことなのかな。と悟る。震えが止まらなくて、手を握りしめていた。そして、「僕たちから、皆さんに伝えることがあります」と。ついに来たんだ、と思った。

 

私の頭の中を、これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。
B.I.Shadowの事実上解体とSexy Zoneのデビュー。バカレア組が解体されて、もうこの6人でのデビューはないのかなと思っていたあの頃。ジェシーと北斗くんが並んで当時のJr.を引っ張っていたにもかかわらず、いつの間にかそのトップの座には違う子が居た。あの6人にSIXTONESと名前がついて、再出発したと聞いたとき。キンプリのデビュー、そしてそれを真っ先にお祝いした兄組。YouTubeプロモーションとJAPONICA STYLEのMV。新世代を背負い、様々な“初”を成し遂げたこと。今春の3都市ツアー。

そして、15人並んでスノスト同時デビューが伝えられた。上手く働かない頭で、この日を待っていたんだなとぼんやり思う。ゴールでもスタートでもない、この通過点を。これまではすべてこの瞬間のためで、この瞬間はこれからのためだ。

 

正直、もしかしたらもうCDを出すという形でデビューすることはできないのかもしれないと思っていた。そして「Jr.なのに」できることが増えすぎて、Jr.でありながらデビュー組を越せるようなことをしたいと野望を語る彼らを見ていたら、本当にこのまま彼ら自身がCDデビューを諦めてしまうんじゃないかと思ってしまうことが何より辛かった。絶対そんなことない、自担を信じろと何度も自分に言い聞かせてきたけれど、心のどこかで思ってしまっていたことだった。

だから、嬉しい。SixTONESのCDが手元に届いて、カラオケで曲が歌えて、ジャニーズネットに単独のページができる。ファンクラブもできる。そして6人が、一緒にいられる。

 

山Pになりたくて静岡から上京してきた男の子が、紆余曲折を経て、ついにジャニーズアーティスト SixTONESとして、憧れの人と同じレコード会社からCDを出す。つくづく夢があると思う。目に見える結果から見えない努力まで、全部報われてほしい。SixTONESと良い景色が見たい。北斗くんとSixTONESに、ずっとついていきたい。

だから私たちを、未来に連れていってね。
CDデビュー決定おめでとう。SixTONESが大好きです。

 

松村北斗くんとソロ曲

 

アイドルのことを、俗世とは違う世界で生きるどこか人間味のない虚像だと思ってしまう。もちろん皆間違いなく人間だし、自担の人間味ある言動を目にしてキャッキャすることも多々あるけれど。

そう思って今までアイドルを信仰するかのように好きでいたはずなのに、分からなくなってしまった。

 

昨年SixTONES横浜アリーナ単独公演で北斗くんがソロ曲に披露した『あやめ/加藤シゲアキ』。そして今年の『みはり/男闘呼組』。どちらも思わず息を飲むほど素晴らしいパフォーマンスだった。

何を隠そう自担なので多少は贔屓目もあるけど、"表現者"として頭一つ抜きん出ていると思った。アイドルというキラキラした雲の上の存在が生み出す作品に、生死だとか渇望、愛、救いたい・救われたいという願いをぶつけられてひどく動揺した。あまりにもそれが人間的で、重苦しいものでもあると思ったからだ。表現者として彼なりに繊細な曲たちを解釈してやってみせる覚悟も感じた。

 

世界は 心の奥底にある

目を閉じている間に 楽園は崩れ落ちた

 

確実に理想郷が存在している。「世界」と「楽園」は彼にとってイコールなんじゃないかと思う。何もかもが認められ許され愛される世界。やさしい、やわらかな楽園。

 

あやめに関して、本家のシゲアキさんの演出は「救いたい」ように見えた。平和と多様性、全てのひとの幸せを願うと本人が言及していたように。

それと対照的に、北斗くんは「救われたい」を表現しているのかなと思った。あやめの花を抱きしめてうずくまったり、救いを求めて彷徨って、救われたい、生きたいと心で叫んでいる。

 

獣達のざわめきが 人の嘆きに変わってく
川の流れは枯れ果てて 瓦礫の山に立ちつくす
街をさ迷う人達よ 驚くには早すぎる
愛していたあの場所が コンクリートに埋もれてく
ビルの谷間に吹く風が 幼い瞳に突き刺さる

 

都市に取り残されるこの感じ。ビルに囲まれて余裕がなくなってしまう息苦しさを、静岡から上京してきた北斗くんも昔感じたのかもしれないと思ったら泣けた。

これは渇望。命をつなぐため酸素を求めるみたいに、生きるために立ち止まって息をつく場所を探し回っている。街を歩く人には必ず目的があって、帰る場所がある。漂泊者とまではいかなくても、居場所がいまいち見つけられないひとに、新しい街はやさしくない。

 

だから愛する人達よ 夢の中で逢えたなら
どうか憶えていて欲しい 涙に濡れたこの声を

 

夢の中はどこにあるのだろう。歌い終わりの飛び降り自殺を思わせる演出が頭から離れなくて、どうしても夢の中=天国の解釈にたどり着く。ここでも救いを求めて苦しんでいる。生きたいから死を選ぶって一見矛盾しているようで、でも正当な理由としてもおかしくない気がする。

どうであれ、理想と現実にギャップを感じて狭間でもがいているから、安らかになれる世界に行きたいのだと思った。それが生きているか死んでいるかは分からないけれど。

 

 

昨年のあやめで負った愛しい傷が一年経ってもまだ癒えないのに、また同じ角度から衝撃をぶつけられたので勢いで書きました。この曲を横浜アリーナで自分のソロ曲に選んだところからすべて好きです。宗教みたいに愛しているとはこのこと。間奏のコンテンポラリーさながらのダンスもすごく良かった。北斗くんのダンスって、演技を見ているような気分になる。魂を削って踊っている感じがする。最高でした。また気分で加筆修正します!

ここまで読んでくれた奇特なひといるのかな、いたら教えてください。愛します。